ビヨンセもしくはビヨンセ・ノウルズ(Beyoncé Knowles、本名はBeyoncé Giselle Knowles、1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。デスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、作詞作曲、プロデューサーも兼ねた。
その容姿は多くの女性達からの羨望を受け、トミー・ヒルフィガーの香水「トゥルースター」をプロデュースしたりと、「デスティニーズ・チャイルドのビヨンセ」というより、「ビヨンセのデスティニーズ・チャイルド」という認知のほうが一般的。
『アメリカ合衆国のシンガー史上最も美しい女性』『同最もホットな女性』『同最も才能に溢れたシンガーソングライター』『伝説的なディーヴァ』など、様々な面での極めて高い評価上の称号を有する。愛称は“B(ビー)”。
生い立ち [編集]
アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)とティナ(Tina Knowles)との間に、長女として生まれた。ルイジアナ・クレオールの祖先(ネイティブ・アメリカンの血を引く)を持つティナは、フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名を付けた。Beyonce(発音は異なる)はティナの旧姓でもあった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、教会の聖歌隊員だった。
このころビヨンセはヒューストンの高校に通い、音楽の才能を磨いていた。後にヒューストンの高校にも通い、2000年に卒業した。
デスティニーズ・チャイルド [編集]
ビヨンセは地元ヒューストンで「Girl's Tyme」というカルテットを組み、地道な活動をしていた。このグループは大きな成果を得られず、後にグループ名を変え、1998年にデスティニーズ・チャイルドとしてデビューした。
父マシュー・ノウルズはマネージャー、母ティナはデスティニーズ・チャイルドのファッションデザイナー。この家族経営は他の第一次デスティニーズ・チャイルドメンバーたちの反感を買い、マネージャーであるマシューを追い出そうとしたメンバーが、逆に追い出され、ビヨンセとケリー以外のメンバー脱退に至ったと言われている。
ソロ活動 [編集]
2002年秋、ボーイフレンドと噂されるジェイ・Zとのスマッシュシングル、『'03 ボニー&クライド('03 Bonnie And Clyde)』を発表。2003年春、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイの名曲を元にした、ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット、『ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー(The Closer I Get to You)』を発表。ヴァンドロスがフラックのパートを、ビヨンセはハザウェイのパートを歌い、この曲はビヨンセのデビュー・ソロ・アルバムとヴァンドロスのアルバム『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー(Dance With My Father)』共に収録され、グラミー賞 ベストR&Bパフォーマンス賞のDuo or Group with Vocals部門を共有した。
2003年6月、デビュー・ソロ・アルバム『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』をリリースした。ジェイ・Zをフィーチャリングしたファースト・シングル『クレージー・イン・ラブ(Crazy In Love)』は、8週連続ビルボード・ホット100シングルチャートで1位を記録し、この夏最大のヒットとなった。『デンジャラスリィ・イン・ラヴ』はアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャート (ビルボード200)とR&Bアルバムチャートでトップを記録。アルバムはアメリカで400万枚、全世界では800万枚以上のセールスを記録。シングルとアルバムが同時にアメリカとイギリスでポップチャート1位を記録するのは1983年以来、女性では初めて功績だった。(1960年代と1970年代にビートルズ、サイモン・アンド・ガーファンクル、ロッド・スチュワートによって達成)彼女は、2003年最も商業的に成功を収める女性R&B歌手になるまで成長した。2004年はアリシア・キーズに押されて女性で2位に転落したものの、アリシアもビヨンセを超えるほどのセールスを記録することはなかった。
夏の終わりにかけて、ダンスホール・レゲエのショーン・ポールをフィーチャーしたセカンド・シングル『ベイビー・ボーイ(Baby Boy)』はヒットチャートに浮上し、2003年のヒット曲の1つになった。秋はラジオでもヘビーローテーションされ、『クレージー・イン・ラブ』より一週長く9週間1位を記録した。
『ベイビー・ボーイ』の成功からまもなく、サード・シングル『ミー、マイセルフ・アンド・アイ(Me, Myself and I)』、続いて翌年にはフォース・シングル『ノーティ・ガール(Naughty Girl)』をリリース。両曲はビルボード・ホット100でそれぞれ最高4位と最高3位を記録。2004年のグラミー賞授賞式では、ビヨンセはソロ活動でベスト女性R&Bボーカルパフォーマンス賞、ベストコンテンポラリーR&Bアルバム賞を含む5個のグラミー賞を受賞した。
2005年9月にリリースされたアルバム『ソー・アメイジング〜オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス(So Amazing: An Allstar Tribute To Luther Vandross)』ではスティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲『ソー・アメイジング(So Amazing)』を収録。
2005年12月、ビヨンセはスリム・サグ(Slim Thug)をフィーチャーしたニューシングル、『チェック・オン・イット(Check On It)』をリリース。歌はデスティニーズ・チャイルドアルバム『ナンバーワンズ』、映画『ピンクパンサー』サウンドトラックに収録されている。
2006年9月4日、彼女の誕生日であるこの日にセカンドアルバム『B'DAY』をリリース。日米当時発売で、この日ビヨンセは日本武道館で「HAPPY B'DAY PARTY」を開催。アルバム曲を世界初披露するなど世界的に配信されるメモリアルライブとなる。アルバムからは、リードシングル『Deja Vu feat.Jay-Z』、『Ring The Alarm』がヒット。グラミー賞で4部門のノミネートを受ける大ヒットとなる。
2006年12月、サードシングルとして発売された『Irreplaceable』が、07年1月にまたいで10週連続1位を記録。これまでのソロキャリアで最も1位にランクインした曲になった。この曲は、07年Billboard Chart Single部門で年間1位を記録する。
2006年12月、ブロードウェイミュージカルを題材にした話題作『DREAM GIRLS』に主演出演。アカデミー賞の主演女優部門にノミネートされるなど話題になり、大ヒット。サウンドトラックもBillboard Hot 200で1位を記録するヒットとなった。
2007年4月、Shakilaとのデュエットシングル『Beautiful Liar』をリリース。さらに世界規模のワールドツアーを日本からスタート。10月にはこのライブを収録したREMIX CD+LIVE DVDをリリースした。
2008年3月、長年の恋人といわれていたJay-Zと結婚。友人や親族のみの結婚式を行うが、マスコミなどには結婚について詳細を一切語っていない。
2008年11月、サードアルバム『I Am...Sasha Fierce』をリリース。初の2枚組みアルバムで、自身をより深く素直にクラシックに表現した「I Am」SIDEと、情熱的でセクシーなステージ上のビヨンセ「Sasha Fiears」SIDEで構成されている。リードシングルとして、それぞれから『If I Were A Boy』『Single Ladies』を発表。『If I Were A Boy』は、日本の音楽番組「MUSIC STATION」で世界初披露された。『Single Ladies』は、Billboard Chartで、09年1月時点で4週1位を獲得する大ヒットとなっている。09年1月に行われたオバマ大統領就任パーティーの裏側でオバマ大統領がこの曲の振り付けを披露した事でも話題に。彼の次女の名前が「Sasha」である事から、ビヨンセに関心があったと絶賛した。
2009年1月、オバマ大統領就任パーティーにて映画『Cadillac Records』からの楽曲『At Last』を披露。チークダンスのテーマ曲としてパフォーマンスをした。
2009年2月、次のシングルとして『Halo』『Diva』をそれぞれ発表。
ビヨンセは女優業にも興味を持っていたことから特に演技の準備もせずMTVでメキ・ファイファーと共に、2001年にヒップホペラ(ヒップホップ・オペラの合成語)『カルメン(Carmen: A Hip Hopera)』に出演。これは 1954年にハリー・ベラフォンテとドロシー・ダンドリッジが共演したミュージカル映画『カルメン』のリメイクで、女優としてのデビュー作品になった。
2002年7月、映画『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』では、フォキシー・クレオパトラ役でマイク・マイヤーズと共演。また、同映画サウンドトラックにザ・ネプチューンズプロデュースによるファースト・ソロ・シングル『ワーク・イット・アウト』を提供するも、イギリスでトップ 10、オランダ、オーストラリアではトップ 40と奮わなかった。アメリカでもラジオでほとんど曲が流れず、PVもMTV、VH1 Soulなどでわずかに露出しただけであった。
2004年、キューバ・グッディング・Jrと『ファイティング・テンプテーションズ』に出演。主題歌『ファイティング・テンプテーション』ではミッシー・エリオット、Free、Lyte M.C.をフィーチャリング。映画はほどほどの興業を納めたが、歌はそれほどヒットしなかった。
ザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演する『ピンクパンサー』が 2006年2月10日アメリカ公開。日本では同年5月12日に公開。映画の主題歌になっているシングル『チェック・オン・イット フィーチャリング スリム・サグ』は5週連続全米1位を記録、PVでは全身ピンクに装ったビヨンセがダンスを披露。ピンク色のヒールブーツは、自身もファンであるBAPEの特注品である。
人気コーラス・グループ、シュープリームスをモデルにしたミュージカル『ドリームガールズ』の映画版に主演。ダイアナ・ロスをモデルにしたキャラクター、ディーナ・ジョーンズを演じる。カーティス役にジェイミー・フォックスのほかにエディ・マーフィー、ジェニファー・ハドソンなどが出演。2006年12月にアメリカで公開され、ビヨンセはゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネートされた。
2008年12月全米公開のチェス・レコードを題材にした映画『Cadillac Records』では、ブルース・シンガー、エタ・ジェイムズの役で出演し、エタの代表曲『At Last』などを歌っている[1][2]。
ファッションブランド [編集]
2005年11月に「ハウス・オブ・デレオン(House of Dereon)」(デレオンはビヨンセの祖母の名から)というファッションブランドを母親ティナと共に立ち上げる。それに先駆け、デスティニーズ・チャイルドワールドツアー中の9月9日、ファッション・ロックス・コンサートで実際に服を何着か着て披露した。メイシーズ(アメリカ)などの有名デパートで入手可能。また、日本のジュエリーメーカーサマンサ・タバサと契約し、バッグやジュエリーのプロデュースに参加している。
人物・私生活 [編集]
ヘアスタイルやヘアカラーを頻繁に変え、ロレアルのヘアカラーリング商品でテレビコマーシャルにも出演したが、本人の地毛は短く黒人特有のカーリーヘアである。コマーシャル出演時も含め、PVやメディア露出時はほとんどがウイッグである。
プロモーションビデオで共演したことをきっかけにラッパーのジェイ・Zと交際を始め、2008年4月4日、米ピープル誌が二人の結婚を報じた。
妹のソランジュ(Solange Knowles)は2004年にアルバム『ソロスター』でデビュー直後、デスティニーズ・チャイルドに加入するとの噂も流れたが、結局メンバーになることはなく、アメリカンフットボール選手のダニエル・スミス(Daniel Smith)との子を妊娠し、結婚する(後に離婚)。
その世界ツアーのバックバンドに日本人として唯一参加したピアニストの辻利恵は、ビヨンセはメンバーそれぞれにソロパートを設けてくれるなどバンド思いの人であると語る。また裏表がない性格で、非常に優しい人物であると述べている
2003年7月4日にテレビ放送されたアメリカ独立記念日祝典で披露した、『クレージー・イン・ラブ』のパフォーマンスが論争を巻き起こす。彼女がユリシーズ・S・グラント大統領の墓地の階段で、ふさわしくないダンスをしたとグラント・メモリアル協会が憤慨し、グラント大統領のひ孫にあたるユリシーズ・グラント・ディーツとチャップマン・フォスター・グラントはビヨンセの代理人にこの旨を伝えた。チャップマン・グラントは「いまの世の中、あの方法で誰が気にかける?だれが分かるか?年寄りが生きていたら、楽しんだかもしれないが。」とコメントした[4]。
また、同年終わり頃に、ビヨンセは著作権窃盗容疑でシンガーソングライターのジェニファー・アーマーという若い少女から告訴される。ジェニファーは楽曲をビヨンセのレーベルに送ったが、許可なく使用された、また2003年にヒットしたビヨンセのシングル『Baby Boy』が自身の曲『Got a Little Bit of Love for You』の歌詞に似ていると主張。2006年10月頃、ヒューストン連邦裁判所は2つの曲が「ほとんど異なる」と原告側の訴えを全面的に却下する判決を下し、ビヨンセは無罪となった。ビヨンセは「今回のような訴訟が起きたことは残念ですが、無罪となって安心しましたし、早く次に進みたいです」とコメントを発表した[5]。
2007年6月9日に、ダブリン(アイルランド)でのコンサート中、ステージ上で煙草を深く吸って吐き出す仕草の真似をした後、「最高ね」とつぶやくパフォーマンスをした。これに対し、アイルランド癌協会に、「若者の間で影響力のあるビヨンセが、喫煙を魅力的なものとして推奨していることに対して腹立たしく、遺憾に思う。ビヨンセや彼女と同等の立場にある歌手には、自分たちの行動が将来ある若者に及ぼす甚大な影響について真剣に考えていただきたい」と抗議された[6]。
彼女はよく公の場で毛皮製品を身に着けていたため、度々PETAから名指しで非難されていた[7]。同団体を支持する歌手のピンクからも『(毛皮を着ることを)問題ないとか、かっこいいって思ってるかもしれないけど、大間違いよ。何の毛皮を着てるのか知らないけど、ビヨンセがその動物から襲われればいいのにって思うわ』と非難されたこともある[8]。毛皮とは別件で飼っているペットのシーズー犬を放置しているという噂が流れたときには同団体に調査されるなど決して仲は良好ではなかったが、2007年頃からビヨンセが毛皮を身に着けなくなり、PETAとの関係は改善しつつある
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